文化財のご紹介

 木造仏頭は、菩薩像の頭部で、檜材の割矧構造で作られていたが、現在は後頭部の部分は失われている。元々は全身を金箔が覆い、唇には朱が施されていた。垂髻を結う様子や、花弁形と列弁形を組み合わせた天冠台、美しい弧を描く眉、伏し目にした柔らかな眼、小さく整えた鼻や口元など穏やかな顔立ちは、平安時代後期様式の特色を示し、十二世紀の制作と考えられる。

 阿弥陀如来座像は、檜材割矧構造で、頭と体の主要部を一木により彫り出し、両耳後ろで前後に、三道下で頭と体を割り離し、内刳を施している。体の表面に金泥が残っており、制作当初は全身金色に輝く像であったと考えられる。体内は、漆地に金・銀箔で仕上げられている。定印を結び、右足を外にして結跏趺坐し、肉髻・螺髪を表し、袈裟は左肩を覆って右肩に少しかかっている。
 端正で温雅な面相や柔らかな体躯の肉付け、平行曲線を重ねた衣紋の構成など定朝様の典型を示し、平安時代後期の制作と推定される。

 本寺が所蔵している仏頭が四日市市内で最古となる八世紀前半の奈良時代に制作されたものとして 令和元年十月九日に市の有形文化財に指定、また令和三年には県の文化財にも指定された。
 奈良時代に普及した紙の粘土に紙の繊維を混ぜて強度を上げる手法が使われている。
 白鳳期の作風を残しつつも、造像に用いている塑土に紙スサを混入しており、芯木などを用いず、 同じ塑土を芯としている点から、白鳳期からあまり時を経ず、奈良時代の早い時期に造像されたもの とみられる。

山門 季節により表情を変える庭園
 この山門は、冠木門の上に切妻屋根をかけ、背後の控柱との間にも切妻屋根を直交してかけたいわゆる高麗門である。本柱二本は矩形断面の角柱で木割太く柱上で直接棟木を受ける。冠木は内法より高めにとって本柱に冠木を通し、中央に束をたてる。
 腕木と釣束に三本通し、出桁を支えて垂木をかける。控柱は角柱、本柱と同様に腕木を通して出桁を支える。本瓦葺・一軒半繁垂木、破風拝みに雁股懸魚を飾る。扉は二枚の板戸を装置し、筋鉄を鋲打ちして潜戸を付ける。
 この門は、明治九年(一八七六)に鈴鹿市の神戸城の大手門を移築したものであるといわれている。旧城門らしくたちが高くいかめしいものの、簡易な作りで元の建立年代は江戸時代中期と推定される。
鐘桜 本堂の鬼瓦 山門の鬼瓦